日本人がワインについて表現する場合、ほとんどが自己防衛だと言えます。要するに、恥をかきたくないからこその理論武装。気持ちはとても分かりますが。
 ただ、誤解しないで欲しいのが、こういった表現には、3つの住み分けがあると言う事です。

 その①

 感じたままを言う。飾る必要は何一つなく、葡萄の香りがすれば「葡萄の香り」と言えばいいし、苺の香りがすれば、「苺の香り」と言えばいいのです。「とても良い香りがする」でも結構ですし、 「ファンタ・グレープの香り」がする、だって構いません。

 その②

 ヴァニーユ(バニラ)、ヴィオレット(すみれ)などと言う表現のほとんどは、ソムリエ用語。
 バニラを例に取りますが、「バニラ香のするワイン」を何十本も飲んでいれば、いずれ、どのワインにも共通した香りを見つける事が出来るようになります。即ち、それがバニラ香。
 極端に言えば、自分自身が「バニラ」だと思っている必要はなく、その共通の香りを「バニラ」だと言う、ひとつの定義を作り上げる訳です。
 こうして数多くの定義を作り上げていく事により、未抜栓のワインの味を伝える事が出来る訳ですね。
 ですが、これは相手もこの用語と味を理解している必要があります。
 つまり、ソムリエ語とも言える一つの言語なのです。ですから、このソムリエ語を、ソムリエ語が喋れない客に向かって、頼まれてもいないのに喋っているのは、最低のサーヴィスだと言えるかも知れません。

 その③

 ワインの表現には、詩的表現や、コンテスト用表現があります。
 ワインに対する感動を伝えたいと言う場合は前者。当然、感動が大きければ大きいほど、大仰な言葉を使います。
 ソムリエ・コンクールなどで、他者よりも自分がワインを理解している所をアピールするためであり、見当違いな表現をさける手段であり、曖昧に「当たっているような気がしないでもない表現」をするのが後者。
 太陽の味がしたり、風の香りがしたり、自然の息吹を感じたり、収穫時の葡萄畑が見えたりするのは、決してワインに酔っているからではありません。